R☆MY POLOICY

人類皆ソロアーティスト

これは僕が約13年間お世話になった事務所から独立した際に、自分に言い聞かせ、自分を奮い立たせた言葉です。人間は、生まれた時から家族というグループに所属し、学校や部活に所属し、仲間や会社に所属し、そして僕は事務所とバンドに所属しと、基本的に人は生まれた瞬間からひとりでは生きていません。それゆえに、物心がついた頃には、ひとりだと寂しい、ひとりだと困る、ひとりは恥ずかしいなどという観念に縛られてしまうのではないかと僕は思っています。でも本当は、全員ひとり=ソロイストであり、自分だけの人生を描く人=ソロアーティストなんだと思うのです。なんだ、結局人類全員がひとりじゃん!自分だけじゃないんだ!と知り得たからこそ、人の大切さ、人の痛み、人との繋がりの有り難みをより感じられるようになりました。君はひとりじゃないよ!私はひとりぼっちかもしれない!そんな言葉や思いに一喜一憂するぐらいなら、私はひとりです!そのうえで誰と生きるかを考えますというほうが、よほど強くなれて、優しくなれるという、僕が事務所を独立してから築いてきたRickyという人間性の礎の一段目にある信念であります。

真面目であり出鱈目であれ!

人間真面目なほうが良いに決まっています。真面目とは何か、その定義は本気である様、誠実である様ということですが、僕が常に本気かはさておき、融通の利かない真面目はわりと人間関係を拗らせたりします。なぜなら本気過ぎて余裕がなかったり、誠実過ぎて冗談が通じなかったり。もちろん人によって千差万別ではありますが、僕が言いたいのは、真面目な中にもちょっとした隙があって遊び心があるほうが人として面白味があるということ。一言で表すなら「ギャップ」です。

偉くなるな!賢くなれ!

人間生きてると年を取り、年を取ると後輩ができたり、自分より地位や立場が下の人との関わりが増えたりします。でも決して偉くはないのです。少し早く生まれて、少し先に経験をして知識を得てるだけで、たとえ人より大きな成功を収めようともそれがいつまでも続くとは限らないわけです。それに、その成功は自分ひとりの力で手に入れたものではないことがほとんどです。結局周りから嫌われたら偉くなくるんです。賢い人は偉ぶるような愚かなことはしません。そして気づいたら偉ぶらない賢い人ほど偉いとされるポジションにいるという皮肉でもあります。質が悪いことに偉くなった人は自分が偉くなっちゃってることになかなか気づきません。一緒にいる仲間や同僚から必要以上に気を使われ始めたら…そこがあなたのピークです…たぶん(笑)。

我がため世のため人のため

世のため人のために何かをしたいとよく言いますが、その前に我がため=自分のために何かをすることが最優先だという考え方です。時に我がため、と、世のため人のためはイコールになることがあると思います。誰かを助けたいという自分の思いが結果的に人のためにもなりますし、僕のように好きな歌を歌っていたら誰かの救いになっていたということもあります。自分のためにライブに通ってたら自然とそのアーティストを支えていたという、まさに僕がそれで支えられています。世のため人のためにはたくさんの人たちが動いてくれますが、自分のために動いてくれる人はそうそういません。そういう意味でもまずは自分の人生を最優先に考えることは決して悪いことではないと僕は思います。

いじられ力を持とう

僕は基本いじられキャラです。普段身近にいるメンバーやスタッフ、初対面の人に対してもなんとなく自らイジられる隙を作っているような気がします。いきなり誰でも彼でもいじってほしいわけではないのですが、誰かにイジられると、そのイジり方で、その人の【人となり】がなんとなく窺い知れたりします。完璧そうでプライドが高そうな空気を放つ人とはなかなか距離を縮めにくいと思いますし、おそらくそんな完璧風を振る舞う人でも何かしらイジられそうな隙は持っているものだと僕は思っていて、そのイジられポイントをあえて晒してくれる人のほうが、なんとなくですが、人として成熟してるというか、懐が深いような気がしています。

人目は気にするな!意識しろ!

どうしたって社会で生きていくには人の目があるし、まるで気にならないと言ったら嘘っぱちになるかもしれません。ただ、自分が気にするほど人は自分を見ていないし気にしていないというちょっと寂しい事実もあります。何かに挑戦して失敗しても気にしてるのは自分ぐらいかもしれない。なので、とりあえず自分がやりたいことは人目を気にせずやってみる。着たい服を来てみる。行きたいところに行ってみる。それをやった後に人がどんな目で自分を見るかは少し意識しても良いのかなと。いわゆる周りからの評価ってやつですが、あくまで少しだけ意識する程度です。仮に周りの評価が微妙だとしても、1番大事なのは「行動してよかった」と思える自分がいるかどうか。結局大事なのは、人の目より自分の気持ちなんですよね。

辛いときは下を向こう

落ち込んでる人に、大丈夫だ!なんとかなるさ!顔を上げて!上を目指そう!そんな励ましの言葉も間違いではないと思います。が、辛い時に上なんか見たらもっと辛くなるって思ったりするんです僕。辛い時こそ下を向くというより、下を見た方が良いんじゃないかというあえてのどん底ネガティブ思考からのV字回復狙い(笑)。下を見るというのは、「世の中には食べられない人たちもいる」「五体満足のくせに何甘いこと言ってんだ」「戦争で10分後に死ぬかもしれない国もある」などという類のいわゆるド正論過ぎてウザくて鼻であしらいたくなるタイプの説教を真っ向から誠実に受け入れてみるということです。それらを下という表現にすると誤解を招くでしょうが、あえて批判を恐れずに言えば、下に落ちた時こそ、自分はまだ最下層ではないことに気づかせてあげる、下には下がいると言い聞かせるというショック療法さながらのマインドセット。ただし、人前でこの話はしないほうがいいでしょう。

感化されて、開花せよ

周りに流されるな!自分らしく生きろ!ブレるな!よく聞くありきたりな説教フレーズですが、確かに一理あります。が、百理ない(笑)。生きていればその時々で良いと思うものも変わってくるし、思いがけない出会いで考え方がいっぺんすることもある。例えば20代前半に人生が運良く軌道に乗って、その時の自分が最強だと調子に乗ったとしても、20年後に振り返って同じように最強だったと思えるか…おそらく「まあ若さゆえの勢いやパワーはあったけど、今考えると全然シャバシャバ(未熟、ダサい)だったな」と思うことの方が多いのではないでしょうか。だとしたら、何歳になろうが長年の信念がブレようか、その時自分が良いと思ったり納得したり感動したりして心動かされたのモノは素直に自分の中に取り入れてく。いわゆるアップデートってやつですかね。時代によって周りが変化するならそれを吟味して迎合することだって間違いじゃないかもしれない。感化されるとは決して周りに流されることではなく、自分に取ってプラスになる情報をキャッチするアンテナを張っているということでもある。そのプラスが増えれば増えるほど、自分の人生にさまざまな色の花が咲くのだと思います。

圧倒的強気でいこう

引っ込み思案、人見知りは二十歳まで!?音楽の世界に足を踏み入れてからもう20年以上経ちまして、世間から見ればすっかり大人になったはずの僕ですが、いまだに引っ込み思案とか人見知りなんかに悩まされ、現役の弱気街道まっしぐら人間なのですが…よくよく考えると弱気でよかったことなんて一つもなかったのではないか?とはいえ、今がそれなりに幸せなので、ここに辿り着けたのは弱気だったからこそ‥と肯定することもできます。もしデビュー当時から圧倒的強気だったらどこかで誰かしらとぶつかって拗れて音楽ライフが終わっていたかもしれない。それと同時に、あの時もっと強気でいけてたらどうなっていただろうという後悔や興味もあります。しかしながらここまで書いて思うことは、圧倒的強気とは努力して手に入れた自信あってこそなんだと(突然の悟り)…結論、自分に自信を持てるよう頑張りなさいってことですね。

セルフで満ち足りよう

幸せだと感じたり、その瞬間満たされることは誰にでもある。でもそれは長くは続かない。だから僕らは日々、比較的そうじゃない時間を過ごしているし、そもそも日ごとに自分が幸せか不幸かなんて考えて生きてないですよね。つらいとか退屈とか、なんとなく過ごすとか、適当に頑張るみたいな時間のほうが多いんだと思います。そうやって生きてると、あたかも自分には幸せな時間や満ち足りた瞬間など一度もなかったかのように錯覚してしまう。そして、いつか誰かが自分を幸せにしてくれる、満たしてくれる、なんて他人任せに考えて、もしそうならなかったら、それは自分ではなく誰かせいだと思い込んでしまう、いやそう思い込みたい。もはやその思考は、自分の力では幸せにはなれないという諦めの境地のような気がします。この世で唯一好きに使えるのが自分だとしたら、1番手っ取り早く幸せになれて満たされる方法は、今すでに自分の中にある幸せだった出来事や満たされているものに気づき、知ること、まさしく「足るを知る」ということになるんだと思います。

挑戦する時はバカなふり!

たとえば、ちょっと高級または風変わりな洋服屋さんや、美味しそうで客が1人もいないご飯屋さんに入りたいけどその勇気が出ないみたいな時に使う魔法のおまじない。仮に店員さんにヘンな目で見られたとしても、終始「だって僕ヘンなんだもん」で楽しんじゃいましょう!